人の気持ちを察することは可能か?

人と人は分かり合うことはできるのか?

 
突然ですが、あなたは『空気が読める』タイプですか?

 

 

かなり偏見があるかもしれませんが、私が生まれ育った京都では、
この『空気を読む』というスキルが日常生活の中でかなり求められているように感じます。

 

 

例えば、自宅に訪問されたお客様もてなした後、ある程度時間が経つと・・・

『あら、お茶がなくなってたのね。今すぐお茶をお持ちしますね(そろそろ、帰ってほしいわ・・・。)』

 

『いえいえ、結構です。もう帰ろうかと思っていましたので(うわー!?暗に帰れって言われてる!)』

 

『そんなこと言わないで、ゆっくりしていってくださいよ。(やっと空気よんだか。さっさと帰ってくれないと困るわ)』

 

『いえいえ。本当にこれで失礼しますのでお構いなく。(この言葉を鵜呑みにしたら、後で絶対陰口言われるわっ!)』

こんな会話がなされます。しかも、お互いに笑顔で!(怖)

 

昔から、京都人が客人に『良かったら、お茶漬けでも食べていかれませんか?』と聞いたら、
それは『さっさと帰れ』という意味だと言われています。

 

 

 

そんなこともあって、昔から『京都人は腹黒い』と言われたりします(汗)。

 

京都人の私からしたら、腹黒さがないとはい言いませんが、
『直接的に気持ち・想いを伝える事で相手を傷つけたくない』という想いが
京都人の文化を作って来たのではないかと思います。

 

 

にしても、京都人は思っていることを直接言わないので、『空気を読む』スキルがめっちゃ求められるのです。

 

 

でも、この『空気を読む』スキルは大切だという傾向は、もはや全国どこでも共通なのではないでしょうか?

 

『あの人ってって空気読めないよね〜!』
『あの人、なんで、あの場面であんなこと言っちゃうんだろう?』
など空気が読めないことは、ちょっと致命的な欠陥であると見なされかねません。

 

 

でも、空気を読んだり、人の気持ちを推し量ったりするのが日本人の心であるとは分かっていても、
そのことでちょっと疲れてしまうのも事実です。

 

確かに空気は読めないけれど、毎日楽しそうな人を見ていて、
『空気読めない人だけど、あの人はなんだか気楽そうだなぁ・・・。』なんて考えたりしませんか?

 

 

そうなってくると、
果たして空気を読んだり、人の気持ちを推し量ることが本当に素晴らしいのだろうか・・・
と私は疑問に思います。

 

 

『対人関係から幸福な人生を手に入れる』ための心理学である
『個人心理学』を提唱したアルフレッド・アドラーなら、この問題をどうとらえるのでしょうか?

 

対人関係から幸福を手に入れるためには、やはり『空気を読む』スキルは必要だとアドラーは考えるのでしょうか?

 

今回は、『空気を読む』ことをアドラーの視点から考察してみましょう!
アドラーの考え・教えを学ぶことで、あなたが個人心理学(アドラー心理学)を習得するお手伝いが出来れば幸いです!

 

 

『空気を読む』事に関するアドラーの見解は・・・

 

『空気を読むこと』・・・つまり、他者の気持ちを推し量る事に関して、アドラーの考えは明確です。

 

アドラーは、
『他者が何を考え、感じ、どのように行動するかは、その人自身の自由である』
『我々は、他者の気持ちを操作することは出来ない』
『つまり、人の気持ちは、分からない。(分かりえない)』と考えます。

 

 

言い換えるならば、アドラーは他者を『分かり合えない』存在だと捉えているということです。

 

 

私たちの社会では、『空気を読む』ことが当たり前になっているのですが、
よくよく考えてみると、あなたが『空気を読む』時、それは他者の気持ちを勝手に妄想しているだけに過ぎないのです。

 

 

あなたが恋人に手料理を振る舞おうとキッチンに立っていたとき、
それを見た恋人があなたのことを後ろからギューっと抱きしめたとします。

 

そして、あなたは
『ああ、今、この人は私のこと愛おしく思って抱きしめてくれたんだなぁ』と感じます。

 

しかし、こんな場面でさえも、あなたの恋人が『何を考えているか』なんて分かりません!

 

もしかしたら、『君の手料理は、美味しくないから外食で済ませたいなぁ』なんて考えているかも知れないのです。

 

 

 

言葉を重視する

アドラーは『人とは人分かり合えない存在である』と考えていましたが、これにはもう少し説明が必要だと思います。

 

だって、『人と人とは分かり合えない』なんて言われちゃうと、ちょっと悲しくなりませんか?

 

 

私は、アドラーのこの考えを聞た時、
『アドラーって、ちょっとドライなのかな?そんな風に後ろ向きに人間のことを捉えるなんて』と思いました。

 

でも、アドラーはこの『人と人とは分かり合えない』という現実を前にして、
ドライだったわけでも、後ろ向きだったわけでもありませんでした。
むしろ建設的だったとも言えるかもしれません。

 

なぜなら、アドラーのモットーは
『何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大切だ』だからです。

 

アドラーは『人と人とは分かり合えない』という事実に着目するのではなく、
『では、私たちにできるのは何なのか?』を考えました。

 

 

そうして行き着いた結論が、
『人と人とは分かり合えない。だからこそ、言葉で想いを伝え合うことが大切だ』というものです。

 

黙っていては、何も伝わらない

『言葉で伝え合わない限り、人と人は分かり合えない』のですから、
あなたに伝えたい想いや言葉があるのならば、それを口に出して相手に言わなければなりません。

 

日本には『自己主張をしないのが美徳だ』とする文化があるので、
友達の前なら気持ちを表現することはできても、
普段の生活の中で言いたいことがあっても言わずにいることが多いのではないでしょうか?

 

『自己主張をしない』という文化は、
「自己主張することで相手を傷つけたくない」、
「みんなの和を乱したくない」
という気持ちを背景にしているので、一概にダメなものだと否定はできないのですが、
そのままではいつまでたっても、『あなた』という人間を他者に理解してもらえません。

 

最悪の場合、あなたは常に他者に気を使ってしまい、他者のための人生を送ることに繋がってしまいます。

 

 

以前にアメリカ人の大学講師が留学生について話しているのを聞きました。
彼は、数名の学生に
『明日はみんなで遊びに行かないか? もし行くなら、テーマパークかバスで観光かどっちが良いかな?』
と聞いてみたところ、学生はみんな『バスで観光したい』と答えたそうです。

 

次の日、彼が学生たちとバスで観光していたところ、1人の日本人留学生が
『みんなバスで観光が良いって言うから合わせたんだけど、本当はテーマパークに行きたかったんだ』
と言っているのを聞いたそうです。

 

彼はその日本人留学生の発言に怒りを覚えたと言いました。

 

『本当はどうしたいのか分かっているなら、なぜ言わないんだ!?』
『自分の気持ちを言わずに、あとで愚痴を言うのはフェアじゃない!』

 

私は怒っているアメリカ人を見ながら、『でも、それが日本人らしいところなんだけどなぁ』と日本人留学生に同情しました。

 

しかし、アドラーの教えを学んだ今は、アメリカ人をの主張の方に共感を覚えます。

 

『とはいっても、それが日本人なんだよ』と文化の違いを持ち出す前に、
アメリカ人だろうが日本人だろうが、私たちは同じ人間です。

 

人間である以上『分かり合えない』のですから、やはり、想いは言葉にして伝えなければならないのです。

 

 

『自分が想いを伝える事で、場の雰囲気を壊してしまわないか?』
『自分が想いを伝える事で、相手の気を悪くすることもあるのではないか?』
と心配してしまう気持ちはもちろんわかります。

 

しかし、そんな時は、『自分の想いを伝える』ことがおかしいのではなく、
想いを伝えて壊れてしまう人間関係の方がおかしいと考えるべきなのです。

 

 

尋ねない限りは、相手の気持ちなんて分からない

この考えは逆の立場でも同じです。

 

つまり、相手の気持ちを推し量ることは出来ないのだから、
相手の気持ちを知るためには言葉を通じてのコミュニケーションなしでは他者の気持ちを知ることは出来ません。

 

『たぶん、あの人はきっとこんな気持ちなんだろうなぁ・・・。』

 

そんな推測はただの妄想に過ぎず、本当に相手の事を理解するためには、
相手がどんな気持ちでいるのか、何を考えているのかをコミュニケーションを通じて知るしかないのです。

 

アドラーはこのことを以下のように言っています。

 

 

分からないと思って付き合う

 

『空気を読む(相手の気持ちを察する)』ことが出来ると考えるのは、
あなたは他者の事を理解できるという前提に立った考え方です。

 

それに対して、アドラーはあなたは他者の事を理解できないという前提に立って対人関係を考え、
あなたの能動的な行動なしには、相手と分かり合えないのだから、
言葉を使ってのコミュニケーションが重要だと教えたのです。

 

 

私たちは、今まで親、学校の先生をはじめとした様々な人から、
『人の気持ちを考えて行動しなさい』と教え込まれてきました。

 

しかし、アドラーはこの教育に対して、
『人の気持ちなんて分からないんだから、言葉で想いを伝えあう事が大事なんだ!』と言います。

 

アドラーの意見は私たち日本人からすると、
『ええっ!?』と反感を覚えそうになりますが、よく考えてみると、とっても合理的な考え方です

 

 

なぜなら、
『人と人は気持ちを察しあって、理解しあえるんだ』と思って人付き合いするのと、
『人と人とは分かり合えないんだから、言葉で想いを伝えあおう』と思って人付き合いするのとでは、
圧倒的に後者の方が、より相手と深い関係を築くことができるからです。

 

あなたの経験を振り返ってみても、『空気を読んだ』時と『想いを伝えた』時、
どちらの方が友人や恋人とより深い関係になれたかなと考えれば、結果は一目瞭然なはずです。

 

実際、私自身は『想いを伝えなきゃ良かった』という後悔より、
『もっと相手と分かり合うための努力をすれば良かった』という後悔の方が多く残っていたりします。

 

あなたや私が、どれだけ高い『空気を読む』スキルを培ってきたとしても、
気持ちを察するだけで、自分の気持ちを伝え相手の気持ちを知ろうとコミュニケーションを取らないなら、
他者と深い人間関係を作ることはできないのです。

 

 

 

人と分かり合う事が出来ないなら、私たちはどうするべきなのか?

 

ここまで見てきたようにアドラーは、『人の気持ちは分からない』
だからお互いに意思疎通をしようとする努力なしに分かり合うことは出来ないと考えました。

 

でも、その考えに立ってみると・・・
『人の気持ちが分からない中でも、対人関係に踏み出していかなきゃいけないなんて、ちょっと怖い・・・。』
と感じませんか?

 

相手が自分のことをどう思ってくれているのか分からないのに、
その人と関係を作っていくことに不安を感じるのは当然ですよね!

 

 

『この人、顔は笑顔だけど本当のところ何を考えているんだろう?』
そんな風に感じ始めたら、冷汗が止まらなくなります・・・(汗)。

 

 

でも、どれだけ不安を感じて心配してみたところで、やっぱり相手の気持ちは分かりません。
このジレンマをどのように考えれば良いのでしょうか?

 

 

この問題に対するアドラーの答えはシンプルです。

 

『他者の気持ちは分からないのだから、私たちにできる事は、他者を無条件に信じる事しかない』

 

アドラーはそんな風に考えます。

 

 

アドラーは、人の気持ちは、『分からない』し、『操作する』ことも出来ないと教えています。

 

それゆえに、あなたに残された選択肢は、
『他者があなたに何をしてくれるか』ではなく、『あなたはどうするか?』しかありません。

 

対人関係においても、相手があなたをどう見ているかは分からないし、相手の気持ちを操作することも出来ないので、
あなたには『相手のことを信じる』という選択肢しか残されていないというわけです。

 

 

ここまでを整理してみると、
『人と人とは分かり合うことが出来るのか?』という疑問から出発して、
あなたは対人関係とどう向き合うべきかという答えは
『ただ相手を信じて、対人関係を築くしかない』という結論に行き着くことが分かります。

 

 

『相手が私を嫌っているかも知れないのに、それでも相手を信じて、人間関係を作れっていうの?』

 

それってなんだか理不尽に感じるかも知れません。
そして、その理不尽さの裏には、相手を信じた結果、『傷つく』ことへの恐怖心もあるかも知れません。

 

 

傷つくことが怖いのなら、対人関係から逃げるしかありません。

 

しかし、アドラーは『人間関係の幸せは対人関係から生まれる』と考え、
他者との対人関係から顔を背けることに警鐘を鳴らします。

 

 

『確かに他者を信じた結果、傷つくかも知れない』
『それでも、私は他者を信じるんだ!』
他者を信じて対人関係を構築するためには、そんなあなたの勇気・決断が求められるのです。

 

 

今回は、『対人関係に踏み出す際に、どんな態度でいればいいのか』に関して、アドラーの考えをご紹介しました。

 

当ページの内容が、少しでもあなたが個人心理学・アドラーの教えを理解するのに役立てばうれしいです。
理解するのは簡単だけど、実践するには、あなたの『勇気』が試されるアドラーの教え。
私もあなたと一緒に少しづつ学びを深めながら、アドラーの教えを身につけていきたいなと思っています。

 

 

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