そもそも『個人心理学』って何?
あなたは、アルフレッド・アドラーという人の名前を聞いたことがありますか?
もしかしたら、
『アルフレッド・・・アドラー・・・?聞いたことないなぁ』
と言う人がいるかもしれませんし、
『あー!知っている!知っている!超有名だよね!!』
と言いう人もいるかもしれません。
では、次に『アドラー心理学』という言葉はどうでしょうか?
アドラー心理学は、近年日本でも大きな注目を集めており、書店では数多くのベストセラーが生まれています。
そのため、
『アルフレッド・アドラー』という人の名前を聞いたことはなくても、
『アドラー心理学』という言葉を聞いたことがある人は多いかもしれません。
このアドラー心理学とは、アルフレッド・アドラーが作りあげた心理学の通称であり、
正式には『個人心理学』と言います。
当ページでは、『個人心理学』に関する入門的な知識を学べるように、数多くのページ(記事)を用意しています。
しかし、いきなり・・・
『さぁ!個人心理学を学びましょう!!』と言われてしまっても、困ってしまいますよね!?
そこで、このページでは、
『そもそも個人心理学って何なの?』
『個人心理学って他の心理学とどう違うわけ?』
『個人心理学を学ぶことがあなたにとって、なぜ有益なのか?』
といった点を紹介していきたいと思います。
『アドラー心理学/個人心理学』って聞いたことあるけど、結局、それって何なの?』
そんなあなたの疑問を解決することに、当ページが役立てば幸いです。
個人心理学って何??
先ほども軽く触れたのですが・・・・
『個人心理学』とは、オーストリア出身の心理学者アルフレッド・アドラーが創始した心理学のことを言います。
日本では、『アドラー心理学』という名前で普及しており、本屋さんでも数多くの『アドラー心理学』の本を目にします。
関連書籍がベストセラーになるだけでなく、
アドラー心理学を基にしたテレビドラマまで放送されていたほど、日本において一大ブームになりました。
あなたも一度なら耳にしたことがあるかもしれない『アドラー心理学』という名称ですが、
アドラー自身は、自らの心理学の事を『アドラー心理学』ではなく、『個人心理学』と呼んでいました。
あえて、アドラーが自分の心理学を『個人心理学』と名付けたのには、
アドラー自身の考え(哲学)が反映されていました。
なぜアドラーは自らの心理学の事を『個人心理学』と呼ぶことにしたのでしょうか?
まずは、その理由を見ていくことにしましょう!
理由1、個人はこれ以上分割できない存在だから
通常の心理学では、『個人(人間)』という存在を、
『意識vs無意識』、『感情vs思考』、『心vs身体』のように構造的に分解し、分析を行います。
このように、『個人(人間)』を構成要素ごとに分解する事で、
人間に対する分析や考察をシンプルに、やりやすくしようとしているのです。
つまり、これは言い換えるならば、
『個人(人間)』は、個々の要素の集合体であると考える心理学的な観点なのです。
一方、アドラーは、『個人(人間)』を個々の要素の集合体であるとは考えませんでした。
むしろ、
『個人は分割できない全体である』、
『個人という全体が、個々の要素(意識、無意識、感情、思考、心、身体etc...)を
協調させながら目的に向かって生きている』と考えました。
このように、アドラーは個人を構成している『要素』には重点を置かず、
『全体としての個人』そのものに重点を置いたのです。
これが、自分自身の心理学を『個人』心理学と呼んだ理由の一つです。
理由2、大切なのは『あなた』がどう生きるか
一般的な心理学では、人間をタイプ分けすることで、人間を把握し、科学します。
人間をタイプ分けすることで、人間を分析したり把握する上で、
人間それぞれが持つ個性に惑わされることがなくなるという利点があるのです。
この『人間をタイプ分け』する傾向は心理学に限らず、私たちの周りでよく見かけることができます。
例えば、心理学・・・とは言わないかもしれませんが、
日本では血液型による分類が有名ですし、私が高校生の時は、『動物占い』が流行していました。
これらも、やっぱり人間をタイプ分けし、理解しやすくしようとする試みです。
他にも、社会人になってコーチングを勉強した時には、
『コントローラー』、『プロモーター』、『アナライザー』、『サポーター』という分類を教えられ、
コーチする対象をそれぞれのタイプに当てはめる事で、その人の事を理解するトレーニングがありました。
このように、人間をタイプ分けし把握しようとする手法は、
世間に広く受け入れられているのですが、
アドラーは『人間をタイプ分け』しようとは考えませんでした。
なぜなら、『人間をタイプ分け』する事がもつ『人が持つ個性を無視する』という側面を良しとしなかったからです。
また、アドラーは、人間をタイプ分けし、分析する作業自体には『何の意味もない』と考えました。
『あなたって、〇〇っていうタイプに当てはまるよね!』
と指摘したところで、その人の性格や状況を把握する事は出来ても、
その上で『では、どうすれば幸せになることができるのか』という疑問に答えることが出来ないからです。
それよりは、
『個人』としての『あなた』がどう生きるべきなのかを科学した方が意味があると考えたのです。
つまり、『心理学を用いて人間をタイプ分けし、観察、分析、考察することには意味が無く、
『個人』として『心理学』をいかにに活用するかが大切だ!』とアドラーは考えた訳です。
そしてこれが、アドラーが自身の心理学を『個人』心理学と呼んだもう一つの理由です。
ちなみに、私はアドラーが自らの心理学を『個人心理学』と名付けた理由を知って、とっても感銘を受けました。
そのため、当サイトでは世間で広まっている『アドラー心理学』ではなく
『個人心理学』という名称を使用することにしています。
個人心理学は今までの心理学と何が違うの?
『アドラーが個人心理学と呼んだ理由は分かったけど・・・』
『結局、アドラーの心理学って何なの?』
『他の心理学と何が違うわけ?』
っていう疑問があなたの中に浮かんできているかもしれません。
そこで、ここからは、アドラー心理学の概要をご紹介したいと思います。
日本では、ジークムント・フロイトが創始した心理学が有名です。
心理学のことを知らない人でも『フロイト』という人の名前は聞いたことがあるかもしれません。
実は、アドラーはフロイトとともに心理学を共同研究していた時期がありました。
アドラーがフロイトの考えに共感を示し支持したことをきっかけに、
フロイトがアドラーを共同研究者として仲間に招き入れたのです。
それをきっかけにして、アドラーはフロイトやユングとともに心理学の研究をするのですが、
共に研究を進めていく中で、アドラーは段々とフロイトと違った心理学を作り上げていきます。
その結果、アドラーはフロイトの学説の違いが明確となり、二人は共同研究を終えることになったのです。
ここからは、アドラーとフロイトの学説はどのような違いがあったのかを見て行きましょう!
一般的に受け入れられているフロイトの心理学と
アドラーの心理学を比較することで、
アドラーが創始した個人心理学をより深く理解することが出来るようになるでしょう!
人格形成について:ジークムント・フロイトの場合
アドラーとフロイトとでは、人間の『人格形成』に対する考え方が大きく異なります。
まずは、フロイトが『人格形成』についてどのように考えていたかを見ていきましょう。
フロイトは、人間の『人格形成』において、『リビドー(性的衝動)』が、その基礎であると考えました。
リビドーとは『性的衝動を発動させる力』のことで、
別に”性的な衝動”だけに限ったものではなく、
様々な欲求に変換が可能な『エネルギー』のことだと考えた方が分かりやすいです。
フロイトは、この『様々な要求に変換が可能なエネルギー』こそが、
人間の人格形成の基礎になっていると考えたのです。
例えば、
『女の子に、モテたーい!!』というエネルギーは、自我によって中和され、
『みんなに認められるような立派な人間になりたい!』という要求に変換されたり
『あの子を独り占めしたーい!!』という独占欲・エネルギーは、自我によって
『自分自身をコントロール(支配)出来る人間になりたい』という要求に昇華されたりします。
他にも、
『うわー!ムラムラする!!』と言うエネルギーは、自我を通じて
芸術活動に対する情熱へと変換されたりするのです。
このように、フロイトは、
無意識から発せられる『リビドー』というエネルギーを様々な形に変換させることで、
人間の活動を行い、その中で人格を形成していくのだと考えたのです。
人格形成について:アルフレッド・アドラーの場合
次にアドラーが考える『人格形成』の基礎とは何だったのかを見ていきましょう。
フロイトの『リビドー』による人格形成の理論とは別に、
アドラーは、『劣等感』が人間の人格形成の基礎であるという考えを持っていました。
アドラーは、
『人間はみんな”赤ちゃん〜子供時代”を通じて『弱者』としての時期を過ごすことになる。』
『自分自身と周囲の『大人』とを比較する中で、人間はみな劣等感を有するようになる。』
と考えていました。
それと同時に、アドラーは
『人間は常に今よりも向上しよう、より良くなろうという要求を持っている』とも考えていました。
そのため、アドラーは、
劣等感は人間を悩ませるものになりえる可能性を認めつつも、
人間は劣等感を持っているがゆえに、
『この劣等感を解消するために、より有能な人間になりたい。成長したい』
と自分自身の成長を求め、人生を前進させることができるのだと考えたのです。
つまり、劣等感とは人間の『足かせ』なのではなく、人格を形成する『原動力』になりえるということです。
第一次世界大戦を経験して:ジークムント・フロイトの場合
このように、フロイトとアドラーは『人間』がいかに形成されていくかについて、
大きな違いがあったのですが、
その違いは第一次世界大戦を経て、さらに大きなものになっていきます。
二人は心理学者・精神科医として第一次世界大戦を経験します。
目の前で人と人とが憎しみ合い、殺し合う姿を目の当たりにしたのです。
この悲惨な現状を経験し、なぜこんなことが起こるのかを考えた末に、
フロイトはこんな結論に行きつきます。
『ああ、これが人間の本来の姿なんだ・・・。』
『人を傷つけようとするのが人間なんだ』
『人間には本能的に死に向かおうとする遺伝的なパターンがあるのかもしれない・・・。』
フロイトはこのような欲動を『デストルドー』と呼び、
この考え方はのちの彼自身の理論を改定していくきっかけとなっていきました。
第一次世界大戦を経験して:アルフレッド・アドラーの場合
アドラーも軍医として戦争に関わり、傷ついた兵士の治療にあたる一方で、
戦場を経験して神経症(PTSD)の症状を訴える兵士を診察し、
心の傷に苦しむ患者が再び戦場に戻ることが出来るかどうかの判断をする
という仕事についていました。
アドラーは、心に傷を抱える兵士を再び戦場に送り返す判断を任されて、
大変な精神的ストレスを感じていました。
そんな中、彼は人と人とが傷つけあい殺し合う状況を見て、こう思いました。
『これは、人間の本来の姿ではない!!』
人と人とが傷つけあう姿をみて、
フロイトは、『それが人間の本性なのだ』と考えたのに対して、
アドラーは、『人間は本来、みんな仲間なのだ』と信じていたからです。
後にこの『人間は本来、みんな仲間なんだ』という考えは、
アドラーが個人心理学を発展させていく上でのキーワード(概念)となっていきます。
なぜなら、これが、
”『個人』としての『あなた』がどう生きるべきなのか”
という個人心理学における最大の質問に対する答えに繋がっていくからです。
当ページでは、詳しく説明する事は避けますが、
この概念が個人心理学においてどんな意味を持っているのかを知ることは、
個人心理学を深く理解することに繋がっていきます。
当サイトの別ページにて、詳しく説明していますので、参考にしてもらえたら嬉しいです!
『私たちはいかに生きるべきか』
ここまで現代の心理学を代表するジークムント・フロイトと比較しながら、
アドラーがどのように個人心理学の基礎となる考えを培ってきたのかを見てきました。
ここまでを簡単に整理すると・・・
【1】
【2】 |
ということが理解していただけたでしょうか?
このように、人間に対する観察・自らの経験を体系的にまとめ上げて、
アドラーが構築していったのが『個人心理学』なのです。
『人はいかに生きるべきか』
『どうすれば、幸福な生を生きることができるのか』
を考えた心理学である個人心理学は、初めて触れる人には『The 心理学』というより
一種の『思想』であるように感じる人も多いです。
実際に、『個人心理学』に影響を受けた著名人も多く、
実際欧米で古典として人々に愛されている自己啓発書は、
アドラーの『個人心理学』に影響を受けているものが多くあります。
なので、
『アドラー先生から心理学を学ぶ』という堅苦しい感じではなく、
『アドラー先輩から生き方を学ぼう♪』という気軽な気持ちで
『個人心理学』を学んでもらえればと思います。
きっとそこには、あなたが想像もしなかったような世界と知恵が詰まっています!!
あなたが『より自分らしく生きること』を学ぶ中で、
当ページの内容が、あなたが『個人心理学』に興味を持つキッカケになればと思います。
当サイトでは、『個人心理学』のフレームワークをたくさん紹介しています!
あなたが『個人心理学』をより深く理解し、
フレームワークを活用することで、あなたの生き方を変えるお手伝いができれば、嬉しく思います!