実践!個人心理学(入門)

なぜアドラーは『原因論』を否定したのか?

 

 

あなたが『悩み事・問題』を前して、それをどう解釈するのか。
そこには、2つの解釈(選択肢)があります。

 

1つはジークムント・フロイトによって提唱された『原因論』の観点。
もう1つは、アルフレッド・アドラーによって提唱された『目的論』の観点です。

 

 

 

アドラーは、過去の出来事と現在の状況の間に関連性があるように考える事を
『見かけの因果律』とよび、そこに関連性はないと主張しました。

 

また、人は『見かけの因果律』を持ち出して、
現在の自分の状況の言い訳に使っているだけなのだとも考えました。

 

そのため、アドラーはフロイトの『原因論』という考え方を受け入れず、
”人は何らかの目的があって現在の状況を創り出しているのだ”
という『目的論』という考えを提唱したです。

 

 

アドラーが『原因論』を否定したのは、このような論理的な観点からだけでなく、
実は、アドラー自身が持っている『信条』と『原因論』とが相容れないモノだったからだとも考えられています。

 

今回は、アドラーが提唱する『個人心理学』をさらに深く理解するために、
『アドラーはなぜ原因論を否定したのか?』
『そこにはどんなアドラーの信条があったからなのか?』
についてご紹介していきたいと思います!

 

アドラーが持っていた信条を理解することで、私はアドラーのことが好きになりました。
そして、そのアドラーの教えをまとめた『個人心理学』についての興味・関心が深まりました。

 

個人心理学に興味を持たれているあなたにも、ぜひ知ってもらえれば嬉しいです!

 

 

アドラーが原因論を否定する本当の理由

 

先ほど、冒頭でお話した『原因論』、『目的論』、『見かけの因果律』についてもう一度整理しておきましょう!

 

『原因論』では、過去の出来事『A』が、現在の状況である『B』を作っていると考えます。

 

一方、『目的論』では、問題を抱えている人に『何らかの目的』があって、
それを達成するために現在の状況『B』を創り出していると考えます。

 

そこでは、過去の出来事『A』は全く考慮されていません。
なぜなら、過去の出来事『A』が必ずしも現在の状況『B』の原因になるとは限らないからです。

 

例えば、
『パートナーに浮気されたから、男性不信になった』
『父親に厳しく躾けられたので、年上の男性に恐怖心を持っている』
『一人っ子だったので、大勢の人数で集まる場所に行くと疲れる』

 

など、一見すると論理が正しく見えますが、
過去の出来事が100%必ず、おなじ結果(現在の状況)を作りだすかと言われれば、そうではありませんよね!

 

『パートナに浮気されたから、自分磨きを頑張って、さらに魅力的なパートナーに出会えた』
『父親に厳しく躾けられたので、年上の男性を見ると威厳を感じて、あこがれる』
『一人っ子だったので、人と仲良くなるスキルを身につけることが出来た』
となる可能性も十分にあるわけです。

 

にも関わらず、『Aだから、Bになった』とあたかもAとBの間に関連性があるように私たちは考えてしまいます。

 

これを『個人心理学』でアドラーは『見かけの因果律』と呼んで、警鐘を鳴らしたのでした。

 

 

 

ここまでの理解は大丈夫でしょうか?

 

今まで見てきたように、
アドラーは、『AだからBになった』という因果律は100%成立し得ないのだから、
『原因論』に立って考えることは、そもそもナンセンスだと考えました。

 

 

これがアドラーが『原因論』を否定した理由の一つです。

 

 

そして、アドラーが『原因論』を否定したもう一つの理由の背景にあるのが、
アドラーは自身が抱く『人間への思想・信条』でした。

 

アドラーは自分が信じていた『人間への思想・信条』が理由で、
彼は『原因論』の考えをどうしても受入れる事が出来ず、これを否定したのです!

 

それでは、早速、アドラーが『人間』に対して、どんな思想を持っていたのか?
なぜ原因論を否定したのかを見て行くことにしましょう!

 

アドラーが人間に対して抱いていた思想・信条(1)

アドラーが持っていた人間に対して抱いていた思想・信条、それは・・・

 

『人は変わることが出来る存在なんだ!』

 

というものです。

 

アドラーは、人間は現在どんな状況の中にいても、過去に何があったとしても
『今、この場所から変化することが出来る存在なんだ』と人間の可能性を信じていたのです。

 

 

『原因論』は”過去”が”現在”を作っていると考えます。

 

そして、私たちは『過去』を変えることが出来ません。
と、するならば、私たち人間は変わる事が出来ない存在なのだと結論付けられることになります。

 

つまり、それは
『人間は過去に縛られ、変化することのできないか弱い存在である。』
ということになりますよね?

 

 

アドラーは『人間』という存在に尊厳を持っていましたし、何より人間の可能性を信じていました。
そのため、変えられない『過去』に立脚して物事をとらえる『原因論』を肯定しませんでした

 

 

例えば
『昔、仕事で大失敗をして部長に怒られてから、私、部長の前では何も言えなくなっちゃうんです』
と言う人がいるとします。

 

私たちなら、
『そうだったんだね。そりゃ、仕方ないよね!』と同情してしまうところかもしれません。

 

 

 

 

しかし、アドラーは違います。

 

『話せないのを部長のせいにしている限り、あなたはいつまで経っても、話せませんよ!?』、
『私たちは経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自分を決めているのです』
と言って、その人にツッコミ&指摘を入れるのです。

 

 

 

アドラーは、
人間は外界の条件に左右される”か弱い存在”ではなく、
自分の意思で状況を変える事ができる存在なのだと考えていました。

 

そして、『今とは違うあり方』を望むのならば、
『原因論』的な考えから抜け出さねければならないと考えたのです。

 

 

また、アドラーは『原因論』に立って、悩み・問題の原因を分析したところで、
そもそも何の問題解決にならないとも考えました。

 

例えば、あなたが体重に関して、
『ああ、太っている自分が嫌だ!痩せたいのに痩せられない・・・』という悩み持っていたとします。
そのことを友人に相談しました。

 

あなたの友人は、慣れ親しんだ原因論に立って、
あなたの悩みごと・問題を分析し、その『原因』を指摘してくれるでしょう!

 

 

『あんたは、ちょっとスイーツ食べ過ぎなのよ。それにカロリー高いご飯ばかり食べてるでしょ!』
『それに、言いたきゃないけど・・・あんた完全な運動不足よ!』

 

 

友人に手厳しく『原因』を指摘されたあなたはきっと、こう感じるでしょう。

 

 

『え・・・。そんなことは私が1番分かってるんだけど・・・』と。

 

 

 

あなたが一番欲しいのは『原因分析』ではなく、『問題解決策』のはずです。

 

このことから分かるように、
『原因論』に立って『原因』ばかりに目を向けても、状況は一向に変化しないのです。

 

 

アドラーはこのことを以下のような言葉で語っています。

 

アドラーが人間に対して抱いていた思想・信条(2)

 

先程ご紹介した通り、アドラーは原因や過去を分析しても、何の意味もないと考えました。
では、私たちはどう考え、何をするべきなのでしょうか?

 

アドラーが抱いていたもう1つの思想・信条の中にその答えがあります。

 

 

アドラーが抱いていたもう1つの思想・信条、それは・・・

 

『何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが、大切だ』

 

というものです。

 

 

普段、あなたも私も
『私は人前で上手にしゃべれないから・・・』
『私はあの人と比べてリーダーシップなんてないし・・・』
『私には導いてくれるようなメンターなんていないから・・・』

 

と言った具合に、

 

『今の自分の能力はどれくらいか、自分にはどんな条件が揃っているか』
ばかりを気にしていると思います。

 

 

アドラーはこのような『与えられたものに注目する』態度は、
『私は〇〇という能力だから(条件だから)△△なんだ』と考えることに繋がり、
『原因論』に帰結する考え方であると非難しました。

 

『原因論』の立場で、
『自分のスペックはどれくらいで、どれだけの条件があるのか』
をどれだけ綿密に時間をかけて分析したところで、一向に状況は変わらないのです!

 

 

だからこそ、アドラーは『与えられたもの』ではなく、『与えられたものをどう使うか』という考えを重視しました。

 

与えられた能力・条件に悩むのではなく、
『それを活用してどうやって現状を打破しようか』
と考えることでしか、現状は変わらないとアドラーは考えたのです。

 

そして、私たちは『与えられたものをどう使うか』という思考をすることで、
人は”より良く”なる方向へ前進していけるのです。

 

 

確かに、私自身も
『どうせ自分の才能はこれだけだしなぁ』、
『嫁と子どもがいてるから・・・』、
『やりたいことあるけど、時間なんてないしなぁ』、
のように考えていた時には、人生は何も前進しなかったと感じています。

 

アドラーの考えを知って、『与えられたものをどう使うか』に注目する事で、

 

『自分の持てる才能の中で、どうやったらパフォーマンスを発揮できるかな?』
『嫁と子どもがいても、家族に迷惑を掛けずやりたいことをやるにはどうすれば良いかな?』
『時間がないなら、スキマ時間を活用して、やりたいことを始めてみよう!』

 

のように発想を転換する事ができるようになりました。
確かに、私がすすめた一歩は小さいかもしれませんが、
原因論の立場にたって、動けずにいた時の事を想うと、前進していること自体が素晴らしいと感じています。

 

 

 

アドラーは『何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが、大切だ』
という言葉を以下のようなたとえ話として語っています。

あなたが、過去の私のように考えてしまう癖があるなら、
ぜひアドラーの『与えられたものをどう使うか』という発想で
自分の状況を捉えなおすことをお勧めしたいです!

 

きっと、あなた自身も驚くようなアイデアや勇気が湧いてくるはずですよ!!

 

 

今回は『なぜアドラーは”原因論”を否定するのか?』をテーマに、
アドラーが持っていた人間に対する思想・信条を2つご紹介しました。

 

『人は変わることが出来る存在だ』
『何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが、大切だ』

 

この2つのアドラーの言葉は『個人心理学』の中で言葉や形を変えながら、
何度も私たちに語られている大切なアドラーからのメッセージです。

 

このメッセージを受け止め、日々の生活に活かすことであなたの人生観を大きく変えることも可能です!
ぜひ、この言葉を心に留めながら、個人心理学の学びを深めて行ってくださいね!

 

 

当ページの内容が、少しでもあなたが個人心理学・アドラーの教えを理解するのに役立てばうれしいです。
理解するのは簡単だけど、実践するには、あなたの『勇気』が試されるアドラーの教え。
私もあなたと一緒に少しづつ学びを深めながら、アドラーの教えを身につけていきたいなと思っています。

 

 

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