劣等感の3つの分類

 

あなたには、『劣等感』がありますか?

 

おそらく、あなたも私も得意なこと・不得意なことがあったり、
人と自分を見比べて自分には足りないところがあると感じたりして、
自分なりの『劣等感』というものを持っていると思います。

 

そして、その劣等感を前にして、
『うー、私って何で、こんなにダメなんだろう・・・』、
『何でみんなが簡単にできることが私にはできないんだろう・・・』

 

といって悩んでしまうかもしれません。

 

 

何かとあなたや私を悩ませる『劣等感』ですが、
実はアドラーが提唱した『個人心理学』に置いて、『劣等感』はとっても大切な意味を持っています。

 

何と言っても、アドラーの『個人心理学』は、
『劣等感』の研究から始まった心理学であるといっても過言ではないほどなのです!

 

 

今回は、『劣等感』についてアドラーはどのように考えていたのか、
私たちが普段考えている『劣等感』とアドラーが考える『劣等感』とは何が違うのか
に関するフレームワークをご紹介します!

 

 

アドラーの『劣等感』に対する考えを学ぶことで、
私たちが普段何となく持っていた『劣等感』の定義を整理することができるようになり、
アドラーの個人心理学において、『劣等感』がどのような意味を持っていたのかを
理解することができるようになりますよ!

 

内科医だったアドラーが発見した一大事実とは?

 

私たちは『劣等感』という言葉を
『自分の中の好きになれない部分・他人よりも劣っていると感じる部分』
といった意味合いで何気なく使っていますが、
アドラーは『劣等感』という言葉に対して厳密な定義を持っていました。

 

そして、『劣等感』について研究をし、深く考察を行っていました。

 

 

アドラーが『劣等感』という言葉をどのように捉えていたかを見ていく前に、
アドラーがなぜ『劣等感』に興味を持つようになったのかを見ていくことにしましょう!

 

アドラーと『劣等感』の出会い

アドラーもはじめから『劣等感』について強い興味を持っていたわけではありません。

 

どちらかというと、子供の頃から身体が弱く自由に外で遊びまわることが出来なかったため、
健康な兄弟たちに囲まれで育つ中で、(身体的な)劣等感をもっており、
そのことに悩んでいたほどです。

 

アドラーは成人し、医師となると開業医として働き始めます。
彼がたらいていた場所は遊園地の近くだったので、
遊園地で働く大道芸人や軽業師などが彼の元に患者として訪れました。

 

彼らを診察し、色々な話を聞く中で、アドラーはある一大発見をします。

 

 

それは・・・

 

『身体を武器にして商売する、このムキムキの兄ちゃん達って、もともと身体が弱かったんや!!』、
『もともとは身体にコンプレックスを持っていた人達なのに、それを克服して、この仕事をやっているんだ!』
というものです。

 

アドラーは正直、ビックリしました。
だって、『劣等感』とは悩みの種でしかないと思っていたのに、
劣等感に悩んでいた人に限って、こうして『劣等感』を克服し、
立派なムキムキ細マッチョに成長していたからです。
(ムキムキ細マッチョは私の妄想です・・・汗)

 

 

このことから、アドラーは考えました。
『ってことは何かい?』
『劣等感は使い方によっては人間を向上させる原動力になるってことじゃないかい!?』と。
 

 

こうして、大道芸人や軽業師たちの診療から得た発見からスタートして
アドラーは『劣等感』に関する研究と考察を深めていくことになるのです。

 

 

人は不完全から始まる

時に私たちは、
『あの人は良いよなぁ。劣等感なんかなさそうで・・・。』、
『それに比べて私は、劣等感の塊だ・・・。』
なんて考え込んでしまうこともあるかもしれません。

 

でも、アドラーは『劣等感は人間なら、例外なく誰でも持っている』と考えました。

 

なぜなら、私たち人間は『赤ちゃん?子供』の時期は、一人きりで生きていくことができず、
大人の世話にならなければならないからです。

 

その環境の中で、子供は自分と周囲の大人とを比較し、『自らの弱さ・未熟さ』を経験します。

 

 

そのため、否が応でも、
『うわー、私って大人よりも力ないじゃん・・・』、
『あー、私って大人よりも頭良くないじゃん・・・』、
『なんで、私がやると大人みたいに上手くできないんだろう・・・』、
と『劣等感』を抱いてしまうのです。

 

 

このように、人間なら誰もが『劣等感』を持っているのですが、
私たちが大人になった時に、この『劣等感』が
『劣等感をばねにして頑張るぞー!』とポジティブに働くか、
『私なんて、ダメダメ人間なの!!』とネガティブに働くかは人によって違います。

 

 

抱えているのは同じ『劣等感』なはずなのに、なぜ違いが生まれるのでしょうか?

 

 

劣等性と劣等感

実は私たちが、何気なく使っている『劣等感』という言葉は、
『劣等性』,
『劣等感』,
『劣等コンプレックス』の3種類に分類することが出来ます。
アドラーは『劣等感』について語るとき、この3つの言葉の違いを明確に使い分けていました。

 

 

この3つの言葉はどんな違いがあるのでしょうか?

 

ここでは、自分の身長に対して、
『私は背が低いから、異性にモテないんだ・・・』
『劣等感』を持っている人を例にして、この3つ言葉の違いを、見ていくことにしましょう!

 

『劣等性』とは何か?

『劣等性』とは、『A』と『B』を比べた時に、明らかな『差』が認められることを言います。

 

例えば、
『身長180cmと160cm』では、明らかに『160cm』の方が低いです。
『100mを12秒で走るのと16秒で走る』のとでは、『16秒で走る』方が遅いです。

 

このように客観的に、そこに『差』がある状態を『劣等性』があると言います。

 

ただ、注意しなければならないのは、確かに『差』はありますが、
だからといって『劣っている』という結論にはならないことです。

 

『劣っている』というのは、主観的な判断です。
ここでは、あくまで客観的な事実を示しているに過ぎません。

 

 

『劣等感』とは何か

次に、『劣等感』とは何か見ていきましょう。
劣等”感”とあるように、劣等感とは『うわー!私って劣っている』と感じる事です。

 

身長160cmの人が、180cmの人をみて、
『うう、負けた!(僕って背が低いなぁ)』と感じれば、その人は『劣等感』を持ったことになります。

 

先程の『劣等性』が客観的な事実であったのに対して、
『劣等感』とは主観的は判断であると言えます。

 

 

 

ただ、ここでの注意点としては、
『僕って背が低いなぁ』とは感じているものの、
あくまで客観的な事実に主観的な解釈を加えているだけであって、
『だから僕はダメなんだ』とか『だから、僕は異性にモテないんだ』
と考えているわけではないという事です。

 

このように『劣等感』を理由に、
何かが出来ない自分の現状の理由を説明にすることは、『劣等感』の定義ではありません。
そこを明確に区別するようにして下さいね!

 

これって『劣等性』?それとも『劣等感』?

ここまで、『劣等性』と『劣等感』の違いについて紹介しましたが、理解は大丈夫でしょうか?

 

 

でも、現実に自分を苦しめている気持ちが、『劣等性』なのか『劣等感』なのかは区別が難しいと思いませんか?

 

ところが、両者は簡単に見分けることが出来るのです。

 

 

それは、自分に
『このモヤモヤした気持ちって、私が世界で一人キリになっても、同じように悩むのかな?』
と自分に質問してみるのです。

 

この質問を自分にしてみると、
答えが『No』だった場合、それは『劣等感』であると判別できます。
(たいていの場合答えは『No』なのですが・・・)

 

なぜなら、他者がいなければ悩まないということは、
それは『他者の目を気にして』あなたが下している主観的な判断であると言えるからです。

 

 

 

もっと言い切ってしまえば、『劣等性』自体は、単なる客観的な事実に過ぎないので、
あなたが悩み・苦しんでいるとするならば、
その時点で、そこには主観的な解釈が加わっており、それは『劣等感』であると言うことができます。

 

 

つまり、すべての悩みごとは、
あなた』が『他者』との比較の中で行った『主観的な判断』であるということです。
アドラーは、このことを以下のように語っています。

 

 

『劣等コンプレックス』とは何か

ここまで、見てきたように『劣等感』とは、単に『主観的な解釈』に過ぎません。
そのため、そこには『善悪』はないとアドラーは考えます。

 

 

なぜなら、アドラーが診療所で発見したように
『私は身体的にみんなよりも劣っているんだ』という劣等感は、
そこから立ち上がり、より素晴らしい現実を作り上げるための原動力にもなるからです。

 

つまり、『私は劣っている』という『劣等感』自体が『悪』なのではなく、
『私は劣っているから、〇〇できない』と劣等感を言い訳に使うことが『悪』だとアドラーは考えたのです。

 

 

このように、『劣等感』を持ち出して来て、自分の現状に因果関係があるように考え、
言い訳に使う事を『劣等コンプレックス』とアドラーは呼びました。

 


ちなみに、complexは日本語の『コンプレックス』とは若干意味が違います。
日本語の『コンプレックス』はいわゆる『劣等感』的な意味合いで使われますが、
英語における正確な定義は・・・

 

『A strong or disproportionate concern or anxiety about something』
(Oxford Living Dictionaryより)

 

とされ、日本語では『何かに対する強い/行き過ぎた関心や不安』と訳すことが出来ます。
もっとわかりやすく言えば、『何かに対してアブノーマルな程に、執着している状態』ということです。
そこには、日本語の『劣等感』的な意味合いはありません。

 

 

『マザコン=mother complex』や『シスコン=sister complex』なども、
complexは『劣等感』と言う意味ではなく、
『母親にアブノーマルなほどに執着している状態』、『姉妹にアブノーマルなほどに執着している状態』
という意味で使われています。

 

 

アドラーのいう『劣等コンプレックス』も同様に、
自らの『劣等感』に対して異常なほどに懸念や不安を寄せて、執着しいている状態であると言えます。

 

『劣等感コンプレックス』は居心地がいい!?

劣等感に関して言えば、アドラーは自身の経験・研究から、
『人は無力な状態から出したいと願い、成長したいと考える。それは人間の普遍的な欲求である』
と考えていました。

 

だから、『劣等感』のことを私たちを悩ますモノではなく、むしろ、

 

『たしかに、私は劣っている!私には足りない部分がある!』、
『だから、私は成長することでこの劣等感を乗り越えるんだ!』

 

と言ったように、私たちを成長に向けて突き動かしてくれるモノだと考えていました。
 

 

つまり、アドラーは『劣等感』があるからこそ、
『成長したい』という人間の共通の欲求が刺激され、人は前進し、向上することが出来るのだと考えたのです。

 

 

そのため、アドラーは、劣等感を理由にして『〇〇という劣等感があるから△△できない!』
と言い訳することを『劣等コンプレックス』と呼んで、『劣等感』と明確に区別したのです。

 

 

どんな時でも『劣等感』があなたや私を成長させてくれる原動力になるのならば、
苦労はしないのですが、私たちはしばしば『劣等感コンプレックス』を持ち出してしまいます。

 

なぜ私たちは『劣等コンプレックス』を持ち出してしまうのでしょうか?

 

 

それは、『劣等コンプレックス』を持ち出すことが心地いいからです。

 

どんな風に心地いいかと言えば、
あなたが人生を前進させる勇気を持てない時の最高の『言い訳』になってくれるからです。

 

 

『あっ!あそこにいるのは、私が気になっている先輩!!』、
『声かけたいけど・・・でも、私、好きな人の前だと上手く話せないし・・・』、
『や、止めとこう・・・』

 

のように『劣等感』を持ち出せば、なんとなく行動を起こさないことに納得することが出来ます。

 

 

また、『劣等コンプレックス』のさらにすごい所は、説得力があるだけでなく、
『あなた』という人間の有能さを暗示する効果もあるところです。

 

例えば、さきほどの『私好きな人の前だと上手く話せないし、先輩に声かけられない』という例では、
裏を返せば、『私は上手く話せないという欠点さえなければ、
私は誰にでも声をかけられる(どんな人とでも恋愛関係になれる)』
ということを自分に暗示することになります。

 

つまり、『〇〇さえなければ、本当の私は、もっと素敵なのよ!』
『劣等コンプレックス』を持ち出すたびに自分に暗示することが出来るので、
あなたのプライドやメンツを保ってくれるのに一役買ってくれるのです。

 

 

 

あなたの周りにも、この『〇〇さえなければ、本当の私は・・・』を多用する人はいませんか?

 

私は、自分自身がそんな傾向がありました(汗)

 

『背がもっと高かったら、もうちょっと大人になった自覚もあるのになぁ』、
『メガネをかけていなかったら、ファッションを楽しめるのになぁ』、
『職場の先輩が理解のある人だったら、もっと働き甲斐があるのになぁ』

 

そんなことを言って、自分で自分を慰めていました。

 

さきほども言いましたが、『劣等コンプレックス』は説得力があり、
自分の有能さを暗示してくれるので、それを使っている人は、あまりにも心地よく、
自分が劣等コンプレックスを使っていることすら気づかないものです。

 

 

しかし、その正体は単に、今の状況から抜け出し、人生を前進させていく勇気がないだけの『弱虫』なのです。

 

 

私は、アドラーの考えに出会うまでは、『劣等感』はネガティブなもので、
人生で上手くいかない時の理由になるものだと思っていました。

 

しかし、アドラーは『劣等感』をあくまで、人生を前進させるための『原動力』であると教えます。
『劣等感』はあなたの人生の『障害』ではなく、あなたを動かす『味方』なのです。

 

あなたが抱える『劣等感』を前にして、それをどう捉えるのか、悩まされるのか、活用するのか、
その選択権は『あなた』に与えられているのです。

 

このことをアドラーは、以下のような言葉で語っています。

 

 

かくいう私も『劣等感』に頭を抱えて、自分の課題と向きあうことから逃げ出したくなる時もよくあります。
そんな時は、このアドラーの言葉を思い出して、
『ああ、そうだ!弱虫になるか、劣等感をバネにするかは、自分次第なんだ!』
と自分に言い聞かせるようにしています。

 

結局のところ、人生の課題からどんな理由をつけて逃げ出しても、なにも状況は変わりません。
『(めーちゃ、怖いけど・・・)勇気をもって進んでいくしかないだよ。』
とアドラーは教えてくれているのだと私は思います。

 

 

今回は、『個人心理学』を理解する上で大切なキーワードとなる
『劣等性』、『劣等感』、『劣等コンプレックス』についてのフレームワークをご紹介しました。

 

それぞれ言葉は似ているのですが、その定義は明確に違います。
特に、『劣等感』と『劣等コンプレックス』を私たちは日本語で同じ意味で使っているので、
ここでその定義を整理しておくと、より『個人心理学』の理解を深めることが出来るようになると思います!

 

当ページの内容が、少しでもあなたが個人心理学・アドラーの教えを理解するのに役立てばうれしいです。
理解するのは簡単だけど、実践するには、あなたの『勇気』が試されるアドラーの教え。
私もあなたと一緒に少しづつ学びを深めながら、アドラーの教えを身につけていきたいなと思っています。

 

 

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