実践!個人心理学(入門)

 

『劣等感』という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?

 

『悩みの種』、
『出来れば目を背けたいモノ』、
『私の人生を邪魔するモノ』・・・人によって様々な解釈があると思いますが、
日本語における『劣等感』とは大抵ネガティブなものではないでしょうか?

 

アドラーが提唱した『個人心理学』では、『劣等感』は日本語とは違うニュアンスで用いられています。

 

アドラーは『劣等感』のことを・・・
『人間なら誰しもが持っているモノ』
『劣等感が人間の成長したい・有能な人間になりたいという欲求を刺激する
『劣等感は、人間が成長し人生を前進していく際の原動力になるもの』、
であると考えていました。

 

私たちが考える『劣等感』のイメージとはだいぶギャップがある感じがしますよね?
アドラーは『劣等感』をポジティブなものとしてとらえていたのです。

 

 

しかし、アドラーは全ての『劣等感』をポジティブであると考えていたわけではありません。
『劣等感』には実は、『良い』劣等感と『悪い』劣等感の2種類があり、
『悪い』劣等感を抱くことは、不幸をもたらす事に繋がると考えていました。

 

 

 

今回は、アドラーが教えてくれる2種類の『劣等感』に関するフレームワークをご紹介します。
アドラーが言うように『劣等感』は人間なら誰しもが持っているものです。
だからこそ、『良い』劣等感と『悪い』劣等感の違いを知り、
劣等感を自分を成長に駆り立てる原動力として活用できるようにならなければなりません。

 

 

あなたが今、『劣等感』を抱えているとして、
その劣等感が『良い』のか『悪い』のかはどこで見分けがつくのでしょうか?

 

どんな風に考え方を変えれば、『劣等感』をあなたを動かす原動力にしていけるのでしょうか?

 

 

ぜひ、本ページの内容を参考にしてアドラーの教えを吸収してくださいね!

 

 

健全な劣等感とは

では、まずアドラーが考えた『良い』劣等感とは何かを見ていきましょう。

 

『良い』劣等感は、アドラーが教えていた通りに、あなたが人生を切り開き前進していく原動力になってくれるものです。
そのため、このタイプの劣等感は、あなたにとってプラスに作用してくれる『健全な劣等感』であると言えます。

 

 

 

ここで、あなたが気になるのは、
『劣等感の良い・悪いはどうでもいいから・・・結局、それはどうやったら手に入れられるの!?』
と言う事だと思います。

 

 

『劣等感』とは、『自分』と『誰か』を比較して、そこに『ああ、私の負けだ。私の方が劣っている』という感覚なのですが、
この『誰』と比べるかによって、劣等感に『健全』か『不健全』かの違いが生まれます。

 

つまり、
『どうやったら、健全な劣等感を手に入れる事が出来るの?』という質問に対する答えは、
『誰と比較する事で劣等感を抱けばいいの?』という言葉と同じ意味なのです。

 

 

健全な劣等感は『何』との比較から生れるか?

では、『健全な劣等感』は『誰』との比較から生じるのでしょうか?

 

 

それは、他ならぬ『あなた自身』との比較から生れます。
もうちょっと、厳密にいうと『理想の自分自身』との比較から生れます

 

 

ちょっとイメージトレーニングをしてみましょう!

 

 

まず、あなたが本来持っている最大限の力を発揮して活躍している理想的な姿を思い浮かべてみてください。

 

あなたの見た目はどんな感じでしょうか?
あなたが話す言葉の調子はどんな感じでしょうか?
立ち振る舞いは?
あなたはどんな人・環境の中にいるでしょうか?
また、どんなことを考えながら仕事をしているでしょうか?

 

 

次に、その『理想の自分』と『現在の自分』とを比較して、そこにはどんな『差』があるか考え、感じてみましょう!

 

もしかしたら、自分自身の可能性やポテンシャルを信頼し、
キラキラした『理想の自分像』を持っている人ほど、『現在の自分』との差(ギャップ)を強く感じるかもしれません。

 

 

では次に、この『差・ギャップ』を見て、感じて、どんなことを考えますか?

 

『うわー、理想の自分ってキラキラしてる!』
『今の私から、どうやったら、その理想の自分にたどり着けるんだろう?』
そんな風に感じることもあれば、

 

『あー!!理想の自分になってみたい!』
『理想の自分に追いつくことを考えたら、楽しみなような怖いような、なんだか胸が苦しい!』
と感じるかもしれません。

 

 

でも、どちらにせよ『理想のあなた』が『現在のあなた』にとって、道しるべとなってくれるので、
自分はどこに向かうべきなのかがスッキリと整理できる感覚ではないでしょうか?

 

少なくとも、『ああ、私って本当にダメだ・・・』と
あなたを苦しませたり、悩ませたりするネガティブな感情は起こらないはずです。

 

 

このように、
『現在の私は、理想の私ほど素敵じゃない』という劣等感は、
あなたを落ち込ませるものではなく、
『君が進みたい方向はこっちだよ!』とあなたに進むべき道を教えてくれ、
『どうやったら、理想の自分になれるんだろう?』とポジティブに考える力になってくれるのです。

 

 

 

そうして、あなたの中に芽生えたポジティブな感情・考えは最終的に、
『確かに今の私は理想の自分と比べて無力だ。だからこそ、もっと成長したい!』
という人間が共通して持っている”成長への欲求”を刺激してくれるのだと、アドラーは考えたのです。

 

アドラーは、『劣等感』と『理想の自分』について、こんな言葉を残しています。

 

 

競争の中に不健全な劣等感が育まれる

ここまでは『健全』な劣等感はどこから生まれるのかを見てきました。

 

健全な劣等感が『理想の自分』との比較の中で生まれてくるならば、
『不健全』な劣等感はどこから生まれ来るのでしょうか?

 

『不健全』な劣等感が生まれる過程も『健全』な劣等感が生まれる時と同じで、
『あなた』と『何か』を比較した時に生まれてきます。

 

それが『何』だか、あなたには分かりますか?

 

不健全な劣等感は『何』との比較から生れるか?

健全な劣等感が『理想の自分』との比較とから生じるのに対して、
不健全な劣等感は『他者』との比較の中に生まれてきます。

 

『他者との比較』と言う言葉が分かりにくいなら、
『自分自身を他者との競争の中に身を置く事』と言い換えてもいかも知れません。

 

『私とあの人、どっちが上でどっちが下なの?』、
『私とあの人、どっちが優れているの?劣っているのはどっち?』、
と他者と自分で優劣を付けながら競争していく過程で不健全な劣等感は生れ、どんどん大きくなっていくのです。

 

 

 

別の観点から見てみると、『自分』と『他者』を比較して、劣等感を感じるということは、
『自分』にはなくて、『他者』が持っているモノに着目するということです。

 

もし、あなたが他者との比較・競争の中で劣等感を感じたとしましょう。
例えば、『あの人は50mを7秒で走るのに、私は14秒もかかっている!私って運動音痴だ・・・。』
とあなたが劣等感を持ちました。

 

この時あなたが抱いた『劣等感』は、
あなたにとって人生を前進するための原動力になってくれるようなポジティブな力を持っているモノでしょうか?

 

どちらかというと、人生を前進させてくれるどころか、あなたのセルフイメージを低下させ、
『私はダメだ』とネガティブなメッセージを送ってくるような気がしませんか?

 

 

なぜこんなことが起こるのでしょうか?

 

 

それは、あなたが『他人にあって、自分にないモノ』を見ているからです。
『自分にない』のですから、劣等感を持った後に、それを挽回することが出来ないのです。
自分にないモノを嘆いていても、人生を前進することはできませんよね?

 

嘆くくらいならば、本来の自分の才能・能力・可能性を真剣に見つめ直して、
『今は50mが14秒だけれど、本来の自分ならなら12秒で走れる力はあるはずだ!』
と考え、本来持っている自分の力を発揮するために努力をした方が、より人生を前に進めていくことが出来きるのです!

 

競争の中から対人関係の悩みが生まれる

アドラーは『人間の悩みは全て対人関係の悩みである』と述べています。

 

 

アドラーがそのように考えた理由は様々あるのですが、その一つは
この『人間関係』と『不健全な劣等感』との関係からも説明することが出来ます。

 

つまり、
『対人関係の軸に競争があると、そこから不健全な劣等感が生まれる』、
『対人関係を作らずに、人間は生きていくことは出来ない』、
『ということは、人間はいつまでたっても人間関係から悩み(=不幸)から逃れることが出来ない』
というわけです。

 

私は同僚・後輩・部下の悩みごとを聞くこともあるのですが、
よくよく聞いてみるとその根本は、
『対人関係の中に競争があり、その中で不健全な劣等感にさいなまれている』
ケースが多いような気がします。

 

あなた自身や、あなたの周りの人の悩みごと・劣等感を思い返してみると、どうでしょうか?

 

例えば、私の知人の女性にこんな人がいました。
一見すると明るい性格の女性に思えるのですが、彼女と話していると決まってネガティブなことを話し始めます。

 

『もー、私なんて悲しくなるくらいダメ人間よ・・・。』、
『もう、若くないしさ・・・』、
『体型もかなり太っているし・・・』、
性格も暗いしさ・・・』、
『ほらねー!私ってダメ人間なのよ・・・。ううっ(泣)』

 

 

彼女は自分の事をボロカスに言うのですが・・・
私からすればそこまで最低な人間だとは思えません。
彼女にも素敵な所があるし、人懐っこい性格は愛嬌があります。
体型だって目を覆うほどアメリカンサイズではありません。

 

でも彼女は自分自身のことをボロカスに言い、攻撃し続けます。
なぜなら、彼女は『誰か』との比較の中で自分の事を見ているのからです。

 

 

 

つまり、彼女は、
『誰かと比べて』若くないのです。
『誰かと比べて』太っているのです。
『誰かと比べて』性格が暗いのです。
そうやって、自分と『誰か』とを比べ続けて、
最終的に『誰かと比べて』ダメ人間なんだ・・・と結論付けて、悩んでいるのです。

 

もし彼女が『他者』と『自分』を比べて優劣をつける競争の世界から抜け出すことが出来たら、
彼女の自分自身に対する評価も違ったものになるのになぁと私は考えています。

 

 

あなたやあなたの周りの人が『劣等感』に悩んでいるならば、
『それは”何”と比較して感じた劣等感なんだろう?』と考え直してみて下さい。

 

もし、『誰か』と比較して感じている劣等感なら要注意です。
そんな時は、『誰か』ではなく『理想の自分』との比較に書き換えることを習慣にしてくださいね!

 

 

不健全な劣等感が作りだすライフスタイル

不健全な劣等感の悪影響は、人間関係の中での悩みを生み出すだけでは終わりません。

 

不健全な劣等感は、最終的にあなたの
『世界に対する価値観(以下、ライフスタイル)』にまで影響を及ぼしてしまうのです。

 

 

不健全な劣等感が生まれる『競争』の中に身を置くと、人はどうなると思いますか?

 

まず初めに、人は『あの人と私は対等だ』という価値観ではなく、
『あの人と私とどっちが優れているか?どっちが劣っているか?』という価値観で人間関係を捉えるようになります。

 

簡単に言えば、『勝ったか?負けたか?』という視点で自分と他者を評価するようになるということです。

 

 

そんな価値観をもって世界を眺め、勝ったり負けたりを繰り返すうちに、
人は他者全般のことを、『敵』だと考えるようになります

 

 

そんなライフスタイルを持っていると、あなたは常に心が休まるときがありません。
他者との競争の中で負けたら『敗者』という烙印を押されますし、
仮に勝ったとしても、次の競争の中で勝か負けるか分からないからです。

 

 

 

『なんで、あの子ばっかり幸せになるの!素直に喜べないんだけど!?』

 

なんて考えるのも、競争の中で『他者=敵』というライフスタイルを身につけてしまっている証拠です。
なぜなら、『あの子が幸せ』であるということは、
『あの子ほど幸せではない私は、あの子に負けたんだ!』と感じているということだからです。

 

他者が幸せを感じているなら、あなたも心から祝福していいのに、そこに『競争』の人間関係があると、
幸せですら『勝ち・負け』の判断基準になってしまい、素直に喜べなくなるのです。

 

あなたは・・・
『他者のことを『敵』だと思っていたり、人間関係の中で無意識に上下の関係や優劣を作っていませんか?』
また、
『他人の幸せを素直に喜び、自分の幸せをシェアすることに抵抗はありませんか?』

 

この質問を自分自身に行い、自分が持っているライフスタイルを点検してみましょう!

 

他者と競争しないということ

私は、アドラーの『人間関係の中に競争があってはいけない』という教えを学び、
一度は『なるほどー!』と理解しましたが、ふと疑問が頭をよぎりました。

 

 

『でも、競争のない人間関係って・・・どうやって作れば良いの??』

 

私は、生れてこのかた『競争』の中で人間関係を作ることを当たり前だと思っていたので、
具体的にどうすれば良いのかが分からなかったのです。

『誰』より『上』に上ったかではなく・・・

 

『競争』の中では・・・
あなたが『誰か』より『上』に立つ事が評価され、『誰か』より『下』になることがマイナスに評価されます。
アドラー研究の第一人者である岸見一郎氏の例えを借りると、競争とは階段を駆け上がるイメージです。

 

『やった!私は努力して、あの人よりも高いところにたどり着いたわ!』
『って、思ったら、こっちの人は私よりもかなり高い所に到達したのね・・・(泣)。』
と言った感じです。

 

 

一方、『競争』のない健全な劣等感が生れる環境とは、
『現在の自分』と『理想の自分』とを比べることから生まれます。

 

つまり、『誰かより『上』に上ったかではなく、
『理想の自分』に向かって、一歩でも近づけたかどうかが評価のポイントとなるのです。
同じく、岸見一郎氏の例えを借りるなら、それは平地を目的地に向かって一歩一歩進んでいるイメージです。

 

そこに『競争』がない時、他者とあなたは・・・

『競争』のない人間関係を作るのは、
この『平地を目的地に向かって一歩一歩進んでいる』イメージを持つ事から始まります。

 

『あの人に勝った!』
『でも、この人に負けた!』と一喜一憂するのではなく、

 

『昨日の自分よりも、今日の自分の方が理想の自分に近づいた!』という事実を喜ぶのです。
そこでは、『他者』がどうであるかどうかは関係ありません。

 

仕事で、
『昨日よりも、今日の方が患者さんの反応を引き出せた!』
『昨日よりも、今日の方が介護のスキルが身についた!』
と感じたなら、それを喜んで良いのです。

 

もし、あなたよりも知識も豊富で、医療・介護技術の高い同僚がいたとしても、
その人と比べて、『私なんて、まだまだ・・・』なんて落ち込む必要なんてないのです。

 

あなたが『理想の自分』に向かって、一歩前に踏み出したことだけが大切なのです。

 

 

私たちは持っている才能・知識・技術が人それぞれに違うので、『同じ』ではありません。
しかし、『理想の自分に向けて、歩みを進めている』という点において、私たちは『対等』なのです。

 

階段ではなく平地を歩いているのだから、
あなたよりも『前』に進んでいる人、『後ろ』でゆっくり進んでいる人がいます。
しかし、そこに優劣はありません。

 

あなたは、
『あの人は、私よりも前にいる。この人は私より後ろにいる。でも、そんなことは私には関係ない。』
『私は、今の私より一歩前に進むだけだ』
と考えれば良いのです。

 

平地を歩いている人に、『上下』なんてないですもんね!

 

 

今回は、アドラーが考えた『健全な劣等感』、『不健全な劣等感』に関するフレームワークをご紹介しました。

 

アドラーは『劣等感』を私たちを前進させてくれる原動力であると考えていました。
そして、劣等感は『個人心理学』が作られていく上で大切なコンセプトだったのです。

 

しかし、劣等感が生れる環境を間違えると、
劣等感は私たちの力を奪い、人間関係の中で不幸を生み出す元凶にもなってしまいます。

 

また、あなたや私が無意識に行っている『競争』の中に身を置くことのリスクを認識しておかないと、
私たちはすぐ慣れ親しんだ『競争』の世界に戻っていってしまうことになります。

 

今回、ご紹介した『劣等感』に関するフレームワークをぜひ整理したうえで、自分の物にしてくださいね!

 

当ページの内容が、少しでもあなたが個人心理学・アドラーの教えを理解するのに役立てばうれしいです。
理解するのは簡単だけど、実践するには、あなたの『勇気』が試されるアドラーの教え。
私もあなたと一緒に少しづつ学びを深めながら、アドラーの教えを身につけていきたいなと思っています。

 

 

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